アイイロの巣穴

中央からはずれてほそぼそ生きてる女の読書やドラマの感想ブログ

【雑談】いちばん下の妹の話

はじめに

どうも、藍色です。↓こちらの記事を見たときからずっと書こうと思っていたことが今回のテーマです。

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結論から言うと筆者は末妹(ココ大事)です。妹視点のフェミニズムがあまりにも少ないな〜と思ってるので加勢のつもりで、筆者の末妹としての身分を書いていこうと思います。個人的なことは政治的なことなんで。家庭内なんてまさに個人の政治だし…。

 

周囲から「姉」だと思われていた末妹

大学時代にクラスメイトからあることを言われました。

 

「藍色さんは絶対長女だと思ってた。下に弟か妹いると思ってた。」

 

その一方、同じく末妹だった別の女子に対しては

 

「Zは絶対末っ子でしょ。」

「あれはどー見ても末っ子だね。」

 

この2つの会話からある程度、筆者である私とそのZさんについての人物像がイメージできてしまうのではないでしょうか。そうです、世間一般で言われてるような「姉」のイメージ(落ち着いてる、我慢してそう←してそうってのがポイント、淑やかそう、しっかりしてる等)を持たれていたのが私です。逆に「妹」のイメージ(だらしない、甘えん坊、子供っぽい、奔放等)そのままの性格がZさんでした。

 ここで言いたいのは、筆者は姉と思われていたから得してたみたいなことではありません。むしろ、姉のようであると思われることが、末妹であることをより打ち消されるということです。同時に、「妹」のイメージを担保したままそれが行えてしまうということです。実際、私のような末妹がいたからといってZさんの「妹」としてのイメージは変わらなかったわけだし、Zさん個人のいい加減さとして扱われずに「妹」イメージとしての枠でしか扱われないわけです。

 

中間子は下に妹がいる限り風向きでどちらにもなれる

 筆者はいちばん下の妹、と書きました。はい、つまり筆者の上にはもうひとりいます。もちろんこれも姉です。中間子のムスメは、最初に上から自分を押さえつけられる姉という存在を持つ経験を経て、数年後自分の下に置ける者を持つことができます。

 ようは「共通の姉」を持つという点で、ある程度は末妹の身分を経験し共感できますが、「共通の妹」を持つという点でいつでも姉の身分を保持できるのです。中間子も妹であるため、一番上の姉に圧されれば妹になるしかありません。しかし姉である以上、自分より下の身分の者を差し出せたり召喚できるわけです。中間子の姉は末妹から見た場合、一番上の姉と比べてマシなこともありますが(妹としての利害が一致できることがある)、構造としては結局姉なのです。姉が二人になるってのはまぁ妹としては最悪です。否定✕2、母親が加われば✕3、父親も含めば…。

 そして中間子の歪みもわりと可視化されやすいことと思われます。真ん中だからもっと甘えたかったよね、お姉さんも妹さんもいて居場所がないよね。はよく聞く言葉ですが、お姉さんが二人もいて大変だよねは一度も聞いたことないですね!

  ダウントン・アビーのメアリーとかモロ「姉だなー」と思いますね。特にイーディスの幸福感をぶち壊したシーンとか…。シビルがいなくなったあとであれをやってるのが確信犯的で、イーディスがメアリーと堂々と不仲でいられたのも、下に妹がいたからだよなと思ってしまう(優しい妹は味方になってくれるから)。シビルも愛された妹ではあったけど結局都合いいキャラにされてるなと思わずにいられない…。実際「愛され」という名の緩衝材だし…。

 

妹のケア努力は無効化される

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「可愛いものはいつもErinで、いつも私には可愛くないほうが来た!」
「Erinに白いうさぎで、私に茶色いうさぎだった!」
「今は茶色いうさぎのほうがいいけど、その時は白いほうが良かった!」

 ↑読んだとき私の姉か!?と思いました。

姉が妹の自尊心をへし折る。筆者にも経験あります。たとえば姉には答えられなかった問題を解いたときには「いちばん下のくせに」「いちばん知識が無いくせに」と言われてきました。機序として姉より妹のほうが物を知らないのは事実ではありますが、この時の私は既に就学児だったので、本が読めていたんです。そして家族のなかで最も観察力があり記憶力が良いのも私でした。

 また、私が既に知ってることを「いや、知らないはずだ」と決めつけて教えを押し付けて、それを"素直に"受け取らなければ「知ったかぶってんじゃねーよ」と逆ギレしたり。私が良いと思ったものを否定して「姉好みに」改変したり。

 私が姉たちから受け取ってきたメッセージは"お前は自分で自分の実力を決めてはならない。お前は自分で「良し悪し」を判断してはならない。なぜならいちばん下の妹は無知で努力が必要だから。しかし姉たちより努力してはならない。なぜならお前の世代はゆとりがあるから。楽をしているお前の努力は努力ではない。楽をしているお前が上を慮るのは当たり前の功徳。それは苦労ではない。楽をしているお前がケアをするのは当たり前、それはケア労働にすらならない。"これに拍車をかけるのは世間一般の「姉」イメージとそれを鵜呑みにする母でした。そして、母もまた「姉」でした。

 地で「我慢」が認められる姉はヤングケアラーとして発見されやすい。しかしそれをケアする妹は無効化されていきます。ケアされる身分(=お世話される無知無力な妹)だと思われてるからです。ここで大事なのは"ケアされる身分"と"ケアを引き出せる身分"はまったく違うということです。後者はわかりやすくオス(或いは子持ち女性)そのものですが、前者は被支配者です。物理的に力の無い者、知識のない者、身体が弱った者等。DV夫ほど妻の介護を「熱心に」やる例がわかりやすいでしょうか。これが「妹」なら、最初から手足をもがれる状態に等しいのです。

  

弟がほしかった子供時代(家庭に憧れる毒親育ちの相似形)

 今はもちろんほしくないけど、筆者が小さい頃(小学生くらい)に、弟がほしかったのを覚えています。自分の下に置くなら絶対に弟がいい、妹はいやだ。自分と同じになってしまうから。自分が姉たちと変わらなくなるから。とよく親に文句を言ってました。小さいながらに「妹」の持つ消費性を理解していたんだなと自分で感心しますが、当時の私の言葉をいま分解すると、

自分の下に置ける者は妹であってはならない。その者が自分と同じ道を辿り不幸になるからだ。姉二人を見てきた自分が妹を持てば、辿る未来は姉と同じ圧迫者になることである。しかし同じ権力者にはなれないだろう、なぜなら私は妹だから。妹の身分から解放されるには、姉二人とは違う形で、私の"味方となるきょうだい"を持たなければならない。だからもし私がきょうだいを選べるなら、上の姉を消して弟を持つことが理想だ。

こう考えると、筆者はべつにきょうだいが欲しいってわけではなく、自分を一番下にすることがない自分の領域が欲しかったんだなと思いますね。毒親育ちの子どもが「毒親だったから、自分の居場所が無かった。将来は自分の家庭がほしい」と求めるやつの、きょうだいバージョン。下に置くなら男っていうミサンドリーも…。兄が欲しいと思ったことがないのは、おそらく姉がいるのと変わらないと思っていたからだと思います。筆者の「兄」のイメージは「身心ともより凶暴化した姉」です。そして上に男がいるのは、父親だけで懲りてたからだとも思いますね。

 「姉」にすらなりたくないと思ったのは、弟がほしいと思わなくなったのと同時期でした。きょうだいの呪縛そのものが要らないと思えたのは、大学の講義で家族社会学を受講して「家族」そのものへの疑義をたくさん言語化できた時から。根本は家族制度にあると気付けたからでした。

 

隙あらば「妹」にしたがる妹、或いは女ともだちのDV

 弟がほしかった筆者の相似形で、さらに思い出したのが同じく「姉二人を持つ妹」の女友達がいた時のことです。小学校で同じクラスで、趣味も同じだったため、よく遊びに出かけるほど仲が良かったものでした。しかし彼にはなんとも難しいところがありました。それは、①私にちょっと下でいてほしいと思っていたところ②私にいつも同じものを欲しがっていてもらいたがったところ③私にいつも憧れる気持ちを持たせたがっていたところ④それらが少し崩れるとすぐに落ち込んだり機嫌を悪くさせたりしたところ⑤私には同じことをさせなかったところ⑥私がそれを嫌と思っていないと疑っていないところ等でした。

 具体的には、①なら「藍色よりうちのほうが絵がうまいから」と思わせたり、筆者を呼び捨てにしておいて、筆者には呼び捨てにさせないであだ名+ちゃん付けを要求するなど。②ならおやつを一緒に買いに行って筆者が違うものを買おうとしたら、あれこれと理由をつけて如何に筆者が損するかを植え付けたり、彼がほしいものとは違うものを話したらそれをけなしたりなど。③なら、如何に筆者が彼より物を知らなくて技術がないかを植え付けたりしました。ここでも筆者は自分の実力を自分で決めてはならなかったのです。彼の知識の間違いを指摘しようものなら筆者がバカにされ、挙句の果てにはその間違いをしていたのは筆者の方であることにされてしまったり(ちょうどナタ勢が読み間違いをしてたのを反出生の側にしたりしていたアレ)。

 今でこそ言語化できますが、彼がなぜ私に①〜③を要求させたがったのか。①〜③の要求ができるのは「姉」だからです。彼もまた「妹」の身分から脱却できる「だれか」がほしかったのです。ちなみに⑥に気付いたのは、数年後に偶然再会した時に彼が喜んでいただけでなく、彼を思い出せない筆者に対し当時の学校名と本名ではなく「あだ名+ちゃん付け」を名乗ったからです。

 

おわりに 女だけの街でも「妹」は救われない

 妹としての身分を、筆者の経験をもとに書いてきました。もちろんこれは姉の身分が受ける差別や不利益をないものとして扱ってるわけではありません。むしろ、妹という立場は、その弱さ&女性ジェンダーゆえに「姉が如何にヤングケアラーとして扱われてしまうか」を痛いほど理解している側です。下の身分が安全に立ち回るなら、周囲を観察する必要があるわけですから、家庭内をよく見ています。家庭の構造を理解すればするほど、そのなかの男尊女卑と年功序列と姐尊妹卑(造語です、今勝手に作りましたw)をいやというほど思い知らされるわけです。

 「女だけの街」は、よく加害者のいない理想郷とされますが(勿論オスがいないだけですごく暮らしやすいだろう)、そこでも結局出生賛美を繰り返せば子持ち女性、単身女性の格差、母、姉、妹の序列は変わりません。

 女性間の格差を温存させる限り、姐尊妹卑がある限り、妹は救われないのです。