アイイロの巣穴

中央からはずれてほそぼそ生きてる女の読書やドラマの感想ブログ

【雑談】私の論文から「女性」が消された日

はじめに

どうも、ブログ筆者の藍色です。今回の雑談テーマは正直表に出すのが少し怖いのですが、学生としてポンコツジェンダー学教員(もちろんTRA)に関わるとこんな目に遭いますよという体験談です。ほぼ愚痴です(笑)。しかし昨今の様子からもあんまり笑いごとじゃないので書きました。

  

当時論文に書く予定だったもの

 身バレ防止の為に詳しくは書きませんが、主に女性を顧客にしている女性自営業者たちの可能性について書く予定でした。平たく言うと女性が運営する女性専用カウンセリングみたいなところ(お店の形態は様々なので表立ってカウンセリングルームとは書いてないところが殆ど)で、そこに集まる女性たちのニーズを分析すると、医療や教育、福祉制度からの排除が関係していたわけです。女性たちが無知だからじゃないよ、制度が女性たちを排除してるんだよ。女性自営業のお店はバカにされがちだけど、現状社会資源として使えるものが無いんだから、問題視するならそういうお店に行く女性達じゃなくて福祉制度のほうにしなよ(ていうかケチつけてるヒマあったら公的サービスの女性専用支援スペースを用意しろ)。ということを書こうとしていたわけです。

 しかし論文は完成させることができませんでした。教員が、論文中のある単語にずっとケチをつけて来たからです。今でこそわかりますが、不幸にも、当時の私の担当教員がTRAだったのです。

 

 

「"女性とされてる人たち"でしょ?^^」

 これが担当教員から言われた言葉でした。誇張でなくほんとにニコニコしながら言われたのです。最初は冗談半分で言ってるのか、本気で言ってるのかわかりませんでした。しかし、私が論文の下書きを持っていくたびに言われ続け、言ってくるたび教員がだんだん真顔になっていくのでようやく理解しました。「こいつ本気で言ってるんだ」と。本気で、私の書く論文から"女性"という文言を消そうとしてるのだと。というより、セックス女性(female)をそのまま無印で「女性」と書くことを許さないのだと。

 

「女性の支援って書いてるけど、女性だと的確じゃないので女性とされてる人たちって書いてください」

「この、女性対象ってどいう基準なんですかね?トランス女性は含まないんですかね?」

「女性専用じゃなくて女性とされてる人たち専用でしょ」

 

ついには私がふつうに発言する時に女性と言うことすら「女性じゃなくて女性とされてる人たちでしょ?」と突っ込まれる始末。最終的には身体が拒否して、教員と会う度動悸がして、論文が間に合わなくなってしまいました。

 教員には、私が言うことを聞かないうえ、急に書けなくなったと思われていましたが、私は急に書けなくなったのではなく書けなくさせられたのです。

 

 

TGismについて知らされなかった学生たち

 当時は今ほど話題に昇ってないのもありましたが、LGBT支援が最先端というか、そういう"空気"がありました。ジェンダー論の最先端といえばバトラー!ボーボワールなんて古い!セックスはジェンダーだ!生物学はジェンダーなんだ!シスはマジョリティ!性別はセックスで決まらない!的な。

 ジェンダー学の外部講師としてトランス女性(戸籍性別変更なし、ホルモン注射はしてたらしい)を招いたこともありました。お陰で、学生たちはノートに「トランスのひとたちはランドセルの色分けにも違和感がある」などとメモする現象も起きました。ジェンダーを拒むのにトランス()もクソも無いんですけど、これを注意する教員はいませんでした。なぜなら、そこにいた教員はTRAだから。教員はこう言ってのけました。

 

「規範によって救われる人もいる」

 

規範によって救われる人(てゆーかオスだろ)もいるから、ジェンダーという女性(female)差別装置を温存してもいいと…(白目)。

 むろんセルフID制度が何をもたらすのかについて、講義でもまったく知らされなかったのです。「その人を尊重して、性自認で扱う」と言ったって、学生たち(当時の私も)がイメージしてるのは、その人と対面した時にその人が呼んでほしい名前で呼ぶとか、その人がすきな格好をするとか、せいぜい「個人的な関わり」程度でした。まさか生物学的男性が女子トイレに入れるとか、レズビアンの定義自体を否定するとか、女子スポーツが侵犯されるとか、そもそも身体的女性専用スペース自体が差別になるとか、女性の定義自体が簒奪されるとか、そんなこともOKになるなんて誰にも知らされませんでした。

 まさかそんなことが。である。そんなことが、起こり得るのです(ていうか起きてる)。↓

 

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おわりに 無知だからではなく、もう譲りたくないし譲る必要もない

 女性とは単体で女性(female,xx)でしかない。トランス女性()という単語に対していちいち身体的女性とか、生物学的女性とか、書かなければいけなくなってること自体に筆者はかなりうんざりしてるのです。少なくともブログ筆者が、つまり私が、このブログ内で「女性」と書く時はこれからも「女性=female」のみです。そもそもTGismに反対してる人たちの多くは元々、私も含めて、アライが多かったわけです。無知だから反対してるんじゃない、無知だから「保守」に投票するんじゃない、むしろ「知ったから」です。

 無知/無恥というべきは、市井の女性たちの実生活を、そのなかで割かれるリソース(精神的にも肉体的にも経済的にも)を、背負わなければならないトラウマを、なんにも考慮しないどころか一生実感することもない、既存の論をなぞり積み上げて言葉を改変していくだけで「知性」を保持した気になってる、弱者への想像力を欠いた無教養な学者やペニス保持者たちです。

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 筆者の体験談なのでだいぶ悪態つきましたが、今回はこれで終わりです。ブログなんで。