アイイロの巣穴

中央からはずれてほそぼそ生きてる女の読書やドラマの感想ブログ

フェミニズム版ミステリが読みたい!『ベイカー街の女たち』感想

はじめに

 どうも、ブログ筆者の藍色です。色々なミステリを観たり読んだりしていて常々思っていたこと、それが「フェミニズム版ミステリが読みたい!」です。それまでもなるべく「女性が主人公のものを…」「女性が読んでもストレスの少ないものを…」と探してはいたものの、魅力的な女性主人公よりも男性が前に出てたり、完全にオス憑依女性主人公だったりと苦戦していました。そんななか、とうとう登場しました!今回紹介する『ベイカー街の女たち』、時代が時代なので女性達の活動範囲に制限はあれど、しっかりと「フェミニズム版ミステリ」になってます!

 

『ベイカー街の女たち』について


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 ハドスン夫人とメアリー・ワトスンが主人公です。語り手はハドスン夫人シャーロック・ホームズを読んだことがある人ならお馴染みの、ホームズの下宿先ベイカー街二二一Bの主人です。メアリーはワトスンの妻ですね。

 本作のあらすじは、ある女性がホームズのもとを訪ねたものの、依頼の内容を話すことを躊躇ってしまいホームズが苛立ち、依頼を断ってしまう。それを見かねたハドスン夫人とメアリーが女性の相談に乗ることから物語が始まります。

 

メアリーが飛ばしてる

 作中のメアリーが本当にナイス。というか、ほぼ作者の言いたいことをメアリーに言わせてるのではと思います。例えば、女性を脅迫する手紙を読んだ時の台詞がこれです。

「もし手紙の男ーーけだものも同然だけど、とりあえず人間扱いしておくわね」

筆者はこの台詞を読んだ時に思わず吹き出しました。他にも、作中である女性が無惨に殺された時のメアリーはこう言います。

「残虐な犯行をやめさせるだけじゃ、気持ちがおさまらない。わたしは彼を罰したいのよ、マーサ。焼き殺してやりたい」

首がもげるほど頷ける言葉ですね。この台詞が出る前後を読んだあとだから、共感しすぎて泣きそうなくらい。ちなみにこの台詞は素晴らしいラスト(燃☆SHINEエンド)のフラグになってます。

 他にも筆者のお気に入りは、メアリーにミラーリングをさせてることですね。作中のメアリーはシャーロック・ホームズのことをなんと「シャーロック」と呼び捨てにしています。Am○zonのレビューではこれが気に入らない人がわりといたようですが、これ、メアリーがホームズと親しい男性キャラクターならそんなに気にならないんじゃないんですかね。どんな物語でも女性キャラクターはかんたんに苗字を奪われたり呼び捨てされたりしてきてますからね。

 

「あの女性」の活躍もかっこいい!

 『シャーロック・ホームズの冒険』に収録されている「ボヘミアの醜聞」にて登場する、シャーロック・ホームズを唯一敗北させた女性ですね。それ以来ホームズは敬意をこめて「あの女性」と呼ぶ、アイリーン・アドラー。今作でも登場してくれます。原作でも男装して周囲の目を欺き、ホームズの裏をかくことに成功していましたが、今作でもその特技がしっかり活かされてます!アイリーンの活躍を求めていたホームズファン(ていうか私)も大満足!

 ちなみにアイリーン・アドラーのことをホームズが「あの女性」と呼ぶことに対しての色々な憶測があって、その中には当然(私は当然とは思いたくはないが)「アイリーンとホームズの間には恋愛感情があるの?」といったものもあります。作中ではそのことにも触れてはいますが、あくまでもハドスン夫人の見解にとどまっており、なおかつ「恋愛関係である」と断定していないので一安心ではあります。ほんと、女男が揃った時の恋愛関係の憶測やめてほしい。

 

女性の描き方について

 ただの脇役でしかなかったハドスン夫人を、一人の人間として描いているのが素晴らしい。ハドスン夫人がベイカー街の主人になる前まではどんな生活をしていたのか、ホームズが活躍する影で彼は何を考えていたのか、ホームズに頼れなかった女性達の問題を引き受けた身としてどう生きるかどう考えるか、そういった「彼の人生」がしっかり描かれてることに筆者は感動しました。

 そして「台所」。作中でハドスン夫人をはじめとする女性達が雑談し会議するのは「台所」ですが、この台所についてハドスン夫人はこう語っています。

台所はわたしの聖域であり、仕事場であり、避難所でもある。

台所が避難所として機能しているのは、そこが良くも悪くも「女に許された場所」だからですね。避難所としての台所はアガサ・クリスティの『三匹の盲目のねずみ』にも描かれてます(台所にいる女は安全だった、という文があります)。料理、家事、家庭、に従事している限り(男が定めた役割に逆らわない限り)女は安全であると。台所は当然ジェンダーでありつつも、当時の「女性専用スペース」はそこしかなかったとも言えるのでしょう。

 もう一つの見どころは、ハドスン夫人とメアリー、そしてアイリーンの友情です。原作のシャーロック・ホームズがワトスンによるホームズ伝説とその友情の物語なら、ベイカー街の女たちはハドスン夫人とメアリーとアイリーンの友情物語と言えるでしょう。ある目的のために女性達が結託し合うその時に、ハドスン夫人は「ミセス・ハドスン」ではなくファースネームである「マーサ」と呼ばれるようになります。3人でオスの住居に侵入して証拠品を持ち去るシーンは本当に痛快!しいて言うなら、3人とも既婚者なのが気になる感じでしょうか。そこはやはり現代が舞台のミステリ小説でフェミニズムを取り入れたものが増えてほしいところです。

 また、作中では当時の貧困層の女性達にもスポットが当てられてます。彼らは殺されても目立つことはない。これは現代でもずっと続いていますし、どんな女性でもいつでもこんな危険(貧困と殺人)と隣り合わせに生きています。作中で登場するリリアン・ローズという女性の「誰一人、あたしたちを守ろうとしてくれなかった」という言葉は、けして物語の中だけのことではない。今作は、そういう事実をしっかり描いてくれています。

 

『ベイカー街の女たち』はおすすめできる?

 フェミニズム版ミステリとしておすすめします。女性探偵ものでモヤモヤを抱えていた女性読者に是非ともすすめたいです。ミステリとしてもしっかり楽しめますが、やはり女性の描き方がとてもいいです。

 また、内容と直接関係はしませんが、文章が非常に読みやすいのもおすすめできるポイントです。あとがきも含めて翻訳者が優れているのがよくわかります。訳者あとがきや小説についてる解説は、解説になってないものが多いですが(なぜか思い出語りしたり、作品の背景やメッセージ性、言葉の表現や書き手のスタイルなどに触れないやつとかね!)、この小説ではちゃんとした解説をしてくれてます。

 そして筆者はプロローグの時点でかなりシビレたので、その一部を抜き出しておきたい。プロローグに共感したらぜひ本作のご一読を。

「誰だ、そこにいるのは?」卑劣な化け物の声に、わたしは暗がりへ後ずさった。暗がりーーそう、陽の当たらない舞台裏がいつもわたしの居場所だった。優秀な人たちや立派な人たちの陰で黙っておとなしく控え、ごくたまに端役を与えられることはあっても、それ以外はほとんど物語の傍観者や聞き役に徹してきた。こういう絶体絶命の窮地に陥る役回りは以前のわたしには似つかわしくない。

 でも、今回はこれまでとはちがう。わたしの役柄は変わったのだ。「ホームズだな?わかってるんだぞ!」男が勝ち誇った声で叫ぶ。その名前はわたしが舞台へ登場する合図となった。